林牧場 福豚の里 とんとん広場の歴史

林 キヌ(明治38年~昭和61年)
林 文雄(大正8年~平成9年)
林 ミン(大正14年~平成23年)

1949年(昭和24年)  林 文雄ミン結婚

1952年(昭和27年)  有限会社 林商店創業

1959年(昭和34年)  家畜商から豚の生産への移行

1961年(昭和36年)  2豚房を建設しイギリス系ランドレースの雌を輸入

1962年(昭和37年)  ランドレースが初めて出産。10豚房建設。

1966年(昭和41年)  全国共進会名誉賞獲得

1970年(昭和45年)  新里(現林牧場本社および本農場)に2町3反の土地を購入

1971年(昭和46年)  NHKラジオにて『幻の豚を求めて』と題した文雄とミンの養豚にかける情熱と戦いが紹介

1972年(昭和47年)  沼田から新里へ移転。1棟あたり1000頭の豚舎を建設

1975年(昭和50年)  文雄ミンの長男邦雄が獣医師の免許を持って入社

1977年(昭和52年)  母豚250頭に拡大

1982年(昭和57年)  文雄、ミン、デンマークを始め6カ国の養豚視察

1985年(昭和60年)  長男邦雄が社長に就任

1989年(平成元年)  株式会社 林牧場に社名変更

1994年(平成 6年)  ミートパラダイス「とんとん広場」開設。林牧場で生産した豚を「福豚」として提供を始める

1997年(平成 9年)  とんとん広場においてハム、ソーセージの加工販売開始。
              豚の生産とレストランの経営を分割

1999年(平成11年)  「福豚」商標登録

2004年(平成16年)  研修室、総菜工場増設
              ドイツ食肉連盟主催IFFAに初出品 7品中6品が金銀銅メダルを受賞

2005年(平成17年)  「ミートパラダイスとんとん広場」から「林牧場 福豚の里 とんとん広場」に屋号変更
              「手づくり福豚工房」新設 生ハムをはじめ30種類ほどのハムソーセージを製造
              「ミニブタ広場」新設
              群馬県ふるさと認証食品に認証

2006年(平成18年)  群馬県優良県産品推奨品認定
              上毛新聞第12回ミテル大賞特別賞受賞

2007年(平成19年)  とんとん広場 ぐんまのおすすめサービス賞受賞

2008年(平成20年)  モンドセレクションに4品出品 金メダル2個銅メダル1個獲得
              ドイツ食肉連盟主催【IFFA】に出品 20品中18品が金銀銅メダルを受賞
              群馬県地産地消推進店認定

2009年(平成21年)  4000坪の農地取得(内500坪ビニールハウス)自社農園野菜栽培開始

2010年(平成22年)  バーベキューと食農学習体験施設ざわざわ森開設

2013年(平成25年)  グッドデザインぐんま商品選定
              前橋市産業振興・社会貢献優良企業表彰受賞
              売り場拡張
              経済産業省地域産業資源事業計画認定

2014年(平成26年)  赤城の恵みに福豚ジャーキーが認定される

 

※群馬県ふるさと認証食品  
群馬県産農畜産物を主な原料とし、県内で加工、優れた味と品質、正確な表示のされた食品を県が認証する制度のことです。
とんとん畑
•Excellent Quality(優れた品質)
•Exact Expression(正確な表示)
•Harmony with Ecology(地域の環境と調和)
Eマークは、上記の英語の3つのEを食品の「品」の形に配置して、ふるさと認証食品が「良い品(イイシナ)」であることを表しています。

※モンドセレクション  
お菓子の品質向上を目的に欧州共同体(EC)とベルギー経済省が1961年から開始した権威ある品評会で、酒類や食料品全般に対象が広げられ、現在は世界各国の食品メーカが出品する権威あるコンクールになっています。 世界中から応募される商品を審査し、大学教授、業界有識者により組織される国際品評評価委員会により総合的に評価され、評価に応じたメダルが授与されます。

※経済産業省 地域産業資源事業計画  
地域産業資源を活用した新商品・新サービスの開発、販路開拓に取り組む「地域産業資源活用事業計画」を作成し、認定を受けると、補助金、融資制度、課税の特例等の各種支援施策を利用することができる制度。

※赤城の恵み  
赤城の恵ブランドとは、「地産地消」の推進と「食の安全安心」の確保、前橋産農林水産物の消費拡大に取組んでいる産品に与えられる証です。
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幻の豚を求めて
とんとん畑


昭和37年3月のことである。群馬県沼田市のふつう「土橋」という集落の国道端にある林文雄さんの家では、深夜になっても赤々と電灯がついたままでいた。
「林さんの家じゃあ、何かあったんだろうか」
近所の人たちはいぶかしげに、何かざわざわしている林さんの家を見る。
「急病人でも出たのだろうか」
そうではなかった。その夜林さんの家ではお目出たがあったのだ。それも人間ではなく、林さんの家で飼っている豚のお産があったのだ。
「たかが豚のお産なのに」と言ってはいけない。その夜、お産のあった豚はただの豚ではない。はるばるイギリスから輸入した純粋のイギリスランドレースのメス豚が今夜お産をするのだ・・・・
NHKラジオ第1で、昭和46年2月1日から27日まで24回にわたり放送された「まぼろしの豚を探し求めて」の第1回はこのドラマチックなお産の様子から始まった。

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昭和10年、16歳を過ぎた文雄は、父邦之助と供に、農家で飼育している肉豚を買い、これを屠畜場へ運び、 肉を持ち帰った。その肉を文雄の母キヌが行商した。また、役牛の売り買いをするなどの家畜商をしていたが、昭和13年まだ働き盛りの父邦之助が他界する。
1人で家畜商の仕事に精を出すなか、農家に子豚の入手の世話を頼まれるようになり、「それなら自分の家で繁殖豚を飼って、その豚を分けてやろう」と考えて1頭の繁殖豚を飼うことから種豚経営がスタートした。
繁殖豚は遺伝形質が重要で、どんなものでも良いという訳にはいかない。血統が良く、沢山の子を産み、その子豚を健やかに育てる能力を持った種豚を作ることは苦難の連続だった。
母キヌはというと、文雄の妻ミンと共に家畜の世話と農作業に精を出し、その上農家へ出向いての種付けを行っていた。キヌは豚を操る術を心得ていて、種豚の足に草鞋をはかせ、長い棒1本と独特な「ホッウホッウ」という掛け声だけで何里もの道のりを歩かせて農家まで出向いていたのだった。
ミンは元来家畜が大嫌いだったにもかかわらず、姑キヌのあまりのムチさばきに感心し、感動し、以来、ミンは文雄と共に養豚に人生をかけ、77歳になるまで経理も一手に引き受けた。
さて、今まで日本にいた豚の品種と言えば、大抵はヨークシャで、脂身が多いのが好まれていたが、昭和30年代に入ると、むしろ赤みの肉の需要が増えていた。そのころ、山梨の県立の種豚場にランドレースという豚がアメリカから寄贈されたと聞き、文雄とミンはすぐ出向いた。
このランドレースは脂肪が少なく赤肉量が多く、時代の要求にぴったりとあった品種である。即座にイギリスランドレースのメス豚1頭の直接輸入を決め、昭和36年10月に、それはやってきた。「幻の豚」を求めて、林種豚牧場の独自の系統を作るための、林文雄の闘いがいよいよ始まるのである。
ランドレースの体形の改良、1つは足を長くすること、1つは頭を軽くしてロース張りをよくすることで産肉性を良くする。できるだけ少ない餌でできるだけ多くの肉を作る。
すでに、文雄は日本の種豚の代表的な系統を集めてきた。とりわけ昭和43年の全国種豚共進会名誉賞の弟に当たるオスの種豚を1頭50万円で購入、この時の価格は日本で今まで取引された最高値であった。こうして交配を重ね、理想の系統を作り出そうとしたのである。
長男邦雄が高校2年の時、後を継ぐと意志表明したことから、現在の新里に理想的な牧場を夢見て3,4ヘクタールの用地取得をした。そして、文雄は長年の経験と技術で自分のところで独特の系統を作りだし、餌の配合も個性あるものにし、林の豚「幻の豚」を作りたいと夢を見た。

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林文雄、今年51歳のこの人は、理想の豚を求めて、今日も赤城山の懐で種豚を飼っている。理想の豚がこの種豚牧場の中から生まれてくるのもそう遠くないことだろう。
NHKラジオ、2月27日の「まぼろしの豚を探し求めて」の最終回のナレーションはこう結ばれていた。
あれから40年あまり、現在、林牧場は「おいしい豚肉」を産出するための技術、環境もさらに改良改善され、独自,飼料工場も完成、文雄の夢は邦雄へとしっかり受け継がれ次の世代へ継承されようとしているが、「幻の豚を探し求めて」の道はまだまだ続いているのである。
そして、思いはさらなるものづくりへと続き、世界で認められる情熱へと傾けられている。